富山県立総合衛生学院
人々への深い関心と洞察力・判断力・倫理観を備えた健康の担い手として育成します。

牧田きせ氏の功績

   牧田きせ氏は、富山県の看護の礎を築き看護の質向上に尽力された方です。
富山県立中央病院の初代総看護婦長、不二越病院附属甲種看護婦養成所(現 富山県立総合衛生学院)の初代教務主任に就任されました。
 第20回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞されています。アメリカでの看護活動、従軍看護婦としての活躍、富山県での看護の礎を築いたこと等が評価されました。


牧田きせ氏の略歴
1890年(明治23年)  岐阜県高山市に生まれる。
1910年(明治43年)  看護婦として日本赤十字社病院に勤務する。
1915年(大正4年)  渡米 ロサンゼルス クラッカー病院に勤務する。
             スペイン風邪の大流行時は不眠不休で看護にあたり、後に地元の医師会より感謝状が
             贈られる。
1937年(昭和12年)  従軍看護婦として終戦まで各地で戦傷病兵の救護看病にあたる。
            戦士からは「戦場のナイチンゲール」と慕われる。
1945年(昭和20年)  終戦。 帰郷する。
1946年(昭和22年)  高山市内看護学校に勤務する。
1948年(昭和23年)  アメリカでの活動が評価されGHQからの推薦をうけ、
           不二越病院附属甲種看護婦養成所(現 富山県立総合衛生学院)教務主任に就任する。
1951年(昭和26年)  不二越病院が県に移管となり、富山県立中央病院、富山県立中央病院付属高等看護学院に
             改称となる。
           初代の富山県立中央病院総婦長、富山県立中央病院付属高等看護学院教務主任として
           看護の質の向上に尽力する。
1964年(昭和39年)  退職する。
1965年(昭和40年)  看護婦としての最高の名誉であるナイチンゲール記章受賞する。日本で44人目である。
1971年(昭和46年)  永眠する。

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昭和26年 富山県立中央病院 富山県立中央病院付属高等看護学院

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戴帽式で言葉を述べられる牧田きせ氏

牧田起世先生
ナイチンゲール記章を受けられた牧田きせ氏


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